[連載中] ヒューマン・コネクション【29】
シリコンバレーのVC の心に沁みる昭和の物語
“I’m watching ‘The Only Son’, directed by Ozu in 1936. It’s really good! Have you seen it?” というメッセージが、ある日、40年来の友人から届いた。「あの昭和の小津安二郎の映画のこと?」シリコンバレーでテック分野への出資で成功してきたトップクラスのVC でGeneral Partner を務めるこの友人、元々電気工学専攻のエンジニアで、テック・スタートアップを経験した後、1980年代からVC として、業績を挙げてきた。彼は、テクノロジーについての知見が深いのみならず、とにかく博学で、ヨーロッパやアジアの歴史について、幅広く深い興味と知識を持っていることは、昔からよく知っていた。しかし、日本の昭和時代を代表する映画監督の1人、小津安二郎の映画に興味を持っていることは知らなかったし、少し意外だった。私自身、アメリカの映画ファンの間でも人気のある『東京物語』は見たことがあったが、『一人息子』(英語のタイトル、The Only Son)は観たことが無かった。”I haven’t. If you think it’s really good, I will take a look. Nice to have a friend who knows more about Japanese movies than me. ☺” とメッセージを返して、私も早速観ることにした。
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小津安二郎監督(1903–1963)は、昭和時代の日本映画を代表する監督の一人で、海外でも黒澤明、溝口健二と並んで、三大巨匠として語られる。黒澤明の『羅生門』や『七人の侍』の影響力はかなりなもので、ハリウッドの名監督、コッポラ、スピルバーグなども、黒澤映画を絶賛した。『七人の侍』あたりは、海外受けすることが頷ける映画で、エンタメ度がかなり高いと感じる。小津安二郎の場合、『東京物語』がとりわけ有名で、最近のシリコンバレーの若者の中にも、結構ファンがいる。戦後の日本の家族の愛情、世代間の断絶、伝統的な家族構成の崩壊などを、日常的なシーンで映し出すこの映画が、アメリカのZ世代の若者の間で結構評判が良いとを知ったのは、数年前だったが、これも意外な感じがした。何といっても、アメリカ人、シリコンバレー人と日本人の感情表現の仕方には、相当な違いがあるし、昭和時代の日本の日常生活が、彼ら彼女らにとって、興味の対象になるとは思っていなかった。そういう若者たちに、『東京物語』のどこが魅力なのかを聞いてみたことがあるが、その答えは、「人生の現実、その辛さみたいなことを、大袈裟なドラマでなく、普通の生活の中で見せるあたり、すごく上手いと思う。」「ハリウッドのハイ・オクテインの映画に無い、スローで辛抱強いストーリー展開やカメラワークが新鮮。」「メロドラマで無い、普通の人の日常生活の中に現実味を感じるし、正直さを感じる。」という、日本で生まれ育った私自身の感覚に近い、驚くほど親近感を持てる内容だった。シリコンバレーのテックを追いかけ、ファースト・ペースでガチガチ働いている若者たちの心情が、随分近いところにあることを感じて、少しほっこりとした気持ちになったことを覚えている。
私が『東京物語』を初めて観てからもう30年くらいは経っていると思う。その後、この近辺の若者たちが話題にしているのを聞いて、再び観てみたのが3年くらい前だった。2回目に観たときに、改めて小津監督のスクリーン構成に感激し直した。例えば、老夫婦が熱海で泊まった旅館で夜遅くまで続く騒々しい宴会に出くわし、辟易としながらも、静かに辛抱強く眠りに就こうとしているシーンや、その翌朝、防波堤に2人で座りながら遠方の水平線を眺め、せっかくの熱海旅行が、うるさい宴会で台無しにされ、やや残念ではあるけれど、それでも「人生にはありがちね。」と苦笑しながら納得し合っているような、ぽっつりとした2人の小さな姿の映し出し方。それだけで、この老夫婦の心情がすべてわかってしまう。会話の数は少な目だが、遠景を巧みに生かした風景ショットや会話と会話の間に映し出される静物などが、場面に余韻をもたせ、視聴者が立ち止まって、その情緒に浸る時間を与えてくれる。言葉少なくも、何層にも重なる様々な老夫婦の想いを淡々と表現した笠智衆(父・周吉役)と東山千栄子(母・とみ役)の演技も印象的だった。
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『一人息子』のストーリーは1923年(大正12年)に始まり、息子が1920年代の昭和初期、日本経済と社会の激動期に育っていくという時代設定。この映画を観て、まず最初に感じたのは、1920年代の日本は、相当貧しかったということ。当時の日本のGDP、一世帯あたりの可処分所得、共に、アメリカの10分の1くらいだったという。産業化が進展していて、大都市にはサラリーマンという中産階級が生まれ始めていたとは言え、人々の生活が極めて質素なことは明らかだ。女手一つで育てた一人息子をやっとの思いで学校に送り、田舎から東京へ送り出す母親の気持ちは、身に染みる思いがする。「東京へ行って、立派な社会人になり、出世して豊かな生活を送れるようになって欲しい。」と思う当時の母親。その一方で、東京へ出たものの、「成功」とは程遠いところにいる息子の現実と無念。その実情を知って情けなく思ったり、落胆しながらも、息子の行動に仁徳を見い出す母親。そういう親子の構図や心情は、親がかなりの無理をして莫大な学費を払いながら、一流大学に子供を送り、子供は卒業後シリコンバレーに出てきて、頑張っているにも関わらず、スタートアップに失敗したり、レイオフされたりすることも珍しくない実情とオーバーラップする。
この映画を薦めてくれた友人は、「都会に出て、出世できなかったこの映画の息子と同じような体験をしている若者は、シリコンバレーにも少なくないね。それにしても、当時の日本と欧米社会の格差の大きさを映像を通して実感できたことが、歴史が好きな自分にとっては、とても有意義だった。そういう格差にも関わらず、母と息子の感情の行き交い、お互いに対する想い、現実と希望のギャップなど、文化や民族を超えて共通するテーマを、小津監督の独特のカメラワークで見せてくれる秀作だと思う。それにしても、その後、日本は第2次大戦でリソースを使い尽くして、とても厳しい局面に直面したにも関わらず、今の状況まで発展したというのは、はやり凄いね。」と語ってくれた。
ハリウッドで活躍するドキュメンタリー映画監督でプロデューサーでもあるDaniel Raim は、映画界の巨匠や知られざる立役者(裏方)にスポットライトを当てた作品で高く評価され、アカデミー賞にノミネートもされた。彼は、小津監督の作品に魅了され、7年間をかけて小津監督の制作活動のプロセスを追ったという。そこから生まれた、ドキュメンタリー『The Ozu Diaries』は、2025年にリリースされて、世界各地のフィルム・フェスティバルで上映された。昭和の人々と今を生きる私たち、日本とシリコンバレー、アメリカ人と日本人、ハリウッドと松竹、ベビーブーマーとZ世代、テック・ワーカーとベテランVCなどなど、様々な違いを超えて小津監督の映画が人々に共通の想いを引き起こし、心を惹きつけ続ける。そういう普遍的な訴求力があるアートを生み出す素晴らしい日本の才能が世界で認められていることが嬉しい。
日頃、シリコンバレーで毎日の出来事を忙しく追う生活をしていると、自分の原点(かも知れない)昭和のことを振り返ることなど、あまりない。そういう日々から少し離れて、忘れていた昭和の巨匠の作品を鑑賞する時間を作るきっかけをくれたの友人からのメッセージは、ありがたかった。彼からのいつもの普通の口調のメッセージのおかげで、思わぬ気づきにつながったことに感謝している。「さて、次はどの映画を観てみようか。。。小津監督の最後の作品『秋刀魚の味』かな?それとも黒澤明の『羅生門』をまた観てみようかな?」と、1日が終わった夜の静かなひとときに昭和を振り返ってみることが楽しみになってきた。
(つづく)