ヒューマン・コネクション【14】

人の可能性を信じる―15年前の春の日に受け取った一言が、今も私の“WHY”の原点

人には、人生を大きく変えるような瞬間があります。

それは偶然のようでいて、「このために今までがあったのか」と振り返ってみて感じるものかも知れません。

今日は、僕にとってのそんな瞬間についてお話ししたいと思います。


春の光の中で

15年前の3月。ノースカロライナ州チャペルヒルの自然に囲まれた家のダイニングルームに、僕は妻とともに立っていました。


大学院のクラスメイト10人とそのパートナーたちも集まっていて、私たちはまもなくノースカロライナ大学(UNC)での2年間の学生生活を終える頃でした。

その日は、UNCの入学審査官のウィリアム・バックさんと奥様のアンさんが、卒業を祝って夕食会を催してくれました。


春の光がやわらかく差し込む、穏やかな日でした。



一箱のファイル

ディナーも終盤に差し迫ってきた頃、バックさんが別の部屋から一箱の段ボール箱を抱えてダイニングルームに戻ってきました。

箱の中にはファイルがぎっしりと詰まっていました。私たちは思い思いに心の中で「何が入っているんだろう?」と呟いていました。

すると、バックさんが一つずつファイルを取り出し、私たちの名前を呼び始めたのです。

そしてページを開いて読み上げた瞬間、全員が息をのみました。

それは、2年前、私たちがUNCに出願したときの出願書類だったのです。


涙でつながった時間

バックさんは、その書類に手書きで私たち一人ひとりに綴った、UNCにとって私たちがどれだけ必要な存在であるかを訴える心からのフィードバックを読み上げてくれました。

「あなたの強みはここにある。あなたの存在が、このコミュニティにどれほど意味を持っているか。」

私たちの中にある可能性という小さな光をそっと映し出すような言葉でした。

聞いているうちに、僕たちは皆、涙を流していました。そして、バック夫妻も私たちと共に涙涙してくれました。


「この2年間であなたたちが成し遂げたことを見て、私は間違っていなかったと確信しました。本当に誇りに思う。」


その言葉が心の深いところにまで届きました。


まるで、人生の羅針盤を手渡されたような瞬間でした。



「人の可能性を信じる人」になりたい

あの日から、僕の中にひとつの想いが生まれました。

人の可能性を信じ、後押しし、前へ進む力を与える人になりたい。

バックさんが僕たちにしてくれたように。

卒業後、僕はUNCの卒業生面接官としてコミュニティーに恩返しする機会を得ました。

6年間で70人を超える出願者と面談をし、アドミッションオフィスにフィードバックを行、合格者にお祝いの第一報の電話をかけ、毎年合格の祝賀会を開きました。

卒業から7年後、思いがけずUNCから
Model Citizenとして表彰された時、誰よりもその喜びをお伝えしたかったバックさんは他界されており、その願いは叶いませんでした。



「続ける」ことの意味

こんな言葉があります。

「何かをやりたいと思う人は1万人。
実際に始めるのは100人。
でも、続けるのはたった1人。」


僕は、その「1人」でありたいと思っています。
なぜなら、信頼は “続けること” からしか生まれないと学んだからです。


与えられたものを、今度は与える側に

スタンフォードのLEADプログラムで多くを学んだ僕は、「この経験を次の人につなげたい」と強く思いました。

そしてこの6年間で、自分のストーリーを語りながら、20人のビジネスリーダーをLEADプログラムへと繋げてきました。


届いたメッセージ

ある日、その中の一人からメッセージが届きました。


「Kaneさん、ご挨拶が遅れてしまったのですが、無事LEADプログラムを修了することが出来ました。初めてKaneさんとお話させて頂いた時、初めて日本人LEADersの会に参加させて頂いた時、自分の現在の仕事のやりがいが見出せず、今後のキャリアも描けない状態で、皆さんがとても眩しく、遠い存在に感じました。もしももしも、皆さんの仲間入りをしたら自分の人生はどう変わるんだろう?

失敗しても失うものはないと一念発起してアプリケーションを出した時、自分が思ったよりも自分が何故今の会社に入ったのか、思ったより自分が今の会社を好きだった事に気付き、仕事への納得感が変わりました。そうすると周囲の見え方、接し方も自然と変わっていきました。

LEADに合格した時、本当に嬉しかったです。旦那と一緒に飛び上がって喜びました。

しかしすぐ、留学経験もなく英語に自信のない自分、職場でも中堅に差し掛かっているとはいえ、まだまだ若手扱いで部下ももった事のない自分、私はクラスに価値を出せるんだろうか?と不安でいっぱいになりました。

初めての顔合わせのオリエンテーション、" My name is Satomi"から始まる自己紹介メモを片手に、汗びっしょり、顔を真っ赤にして震えていました。他の人の話を聞く余裕も、名前をメモする余裕もありませんでした。

Kaneさんにご報告するにあたり、そんな事を思い出して自分でびっくりしています。

なぜなら気付けば、グループミーティングに出て、その場で共有された人の課題にその場でFeedbackを行う事に何の抵抗もなくなっていたからです。

何度か宿題の見本として取り上げてもらえた事も、自分の中で着実に自信に繋がっていきました。

最後のコースが終わった後、個別にチームメンバーから"Satomiに教えてもらったアイディアを会社のマネジメント会議で共有したら大反響だった。ありがとう。"とメールが来ました。

私だって人の、会社の、それも日本ではない国で役に立てるんだと本当に嬉しかったです。

1年前3人しかいなかった私のLinkedInコネクションは、現在580人を超え、ほとんどがNon-Japaneseです。

自分が繋がりたい人を見つける事、その人にコネクションリクエストを送る事も、息を吸うように自然と出来るようになりました。

今回社内公募で手をあげて異動したのですが、それもLEADが色々な意味できっかけになりました。

守秘義務があり詳細はお話できないのですが、会社を越え、国、そしてアジア地域を代表して、世界に影響を与えうる大きな仕事を任せて頂けることになりました。

役員なんて雲の上の人で一生関わる事もないと思っていたのに、名誉顧問の前で自分の名前が呼ばれた時、本当に不思議な気持ちでした。

LEADに出会っていなければ、恐らくこの仕事に選ばれる事もなく、選ばれた所で真っ先に断っていたか、始める前から胃腸を壊して家に引き篭もったかもしれません。

“とりあえずやってみよう” そんな風にどんと構えていられるのは、LEADが私にもたらした大きな変化です。

私をLEADに繋げてくださったKaneさんには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

今の気持ちを忘れずに、何事にも前向きに取り組んでいきたいと思います。

家族ぐるみで今後もどうぞよろしくお願い致します!」


メッセージを読み終えたとき、「続けてきてよかった」 と胸が熱くなりました。


これからも「続ける人」として

僕は、これからも「続ける人」でありたい。それが僕の信頼の築き方であり、僕が「こうありたい」と心に決めた生き方だからです。


最後に

あの日のバックさんの言葉が、今も僕の中で生きています。
『人の可能性をとことん信じ、その可能性を最大限引き出したい』

それが、私の「続ける」意味であり、「WHY」です。

これからもその想いを胸に、誰かの人生をそっと後押しできる人でありたいと思っています。


Buck & Anne William夫妻と
December 2007

(Stanford LEAD Story Clubでの講演した内容を基に加筆・修正)

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