[連載中] ヒューマン・コネクション【15】
シェナンドア、あなたに会いたい
Blue Ridge Mountains とPisgah National Forest の紅葉
11月初めにノースキャロライナ州のアッシュビルに住む親類を2年ぶりに訪問した。人口10万人弱のこの小都市は、ブルーリッジ山脈(Blue Ridge Mountains)と呼ばれる山々に囲まれており、この時期は鮮やかな紅葉に包まれて、周囲の国立公園、国定森林はアウトドアの活動を楽しむ人々で賑わう。アッシュビルとその周辺地域には、18世紀末頃からスコットランド人、アイルランド人、ドイツ人、イギリス人を始めとする入植者がペンシルバニア方面から移住して住むようになっていたが、近年ではワシントンDCやその他の主要都市部からリタイアした人々が住む場所としても人気が出ている。その人気の理由は、美しい自然環境、豊かな文化的活動(音楽、演劇、美術)、比較的住み易い気候、ヘルスケア施設の完備などのメリットが挙げられる。ノースキャロライナ州では、ソーシャル・セキュリティ(年金)が課税されないこともあり、他の州からの「定年後移住組」も結構いるらしい。
ブルーリッジ山脈という名前は、遠方から見たときに山脈全体が青くかすんで見えることに由来している。 この「青いかすみ」は、山脈を覆う広大な樫や松などの森林が、気温が高い日に保護メカニズムとしてイソプレンという揮発性の炭化水素を大気中に放出すること、またイソプレンの微粒子や水蒸気が、太陽光の青い波長の光をより多く散乱させることに起因しているとのこと。この現象は空が青く見えるのと同じ「レイリー散乱」と呼ばれるもので、結果として山脈が青みがかった色合いに見えるのだそうだ。この地の原住民であるチェロキー族は、この青いもやのかかった様子を「シャコネイジ (Shaconage)」、すなわち「青い煙の土地」と呼んだ。ヨーロッパからの入植者たちも、その呼び名を踏襲して「ブルーリッジ」と名付け、その名前が現在でも使われている。(参考:人と自然の関係を考え、学びの場を提供する非営利団体Teravana による解説記事)アメリカ各地を訪問すると、そこで出会う自然の美しさは、多くの場合ネイティブ・アメリカンの視点で表現されていることに気づく。ネイティブ・アメリカンが使った地名をそのまま踏襲しているケースは、数え切れない。マンハッタン、シアトル、シカゴ、ミルウォーキー、タラハシーなどは代表的な例だが、ブルーリッジ山脈にあるシェナンドア国立公園もその名前の由来は、”Daughter of the Stars” という意味のネイティブ・アメリカンの言葉が語源、という説が有力らしい。(参考:What’s In A Name: Let’s Talk Shenandoah)
シェナンドア国立公園は、「いつか必ず行ってみたい。」と思うようになって久しい。東海岸に住む人たちが国立公園を訪れるのであれば、まずシェナンドアを思い浮かぶことがかなり多いと聞く。また、長年西海岸に住んでいても、フォークソングのOh Shenandoah に出会って、無性に行ってみたい気持ちになる人もいる。(実は私もそのひとり)。娘が高校生の時に、声楽の先生が、リサイタルのソロ用の曲選択にあたって、クラシック音楽だけでなく、娘の声の質とレンジに合ったOh Shenandoah を含めてくれたのをよく覚えている。プロのシンガー, Bob Dylan やBruce Springsteen もそれぞれのアレンジで歌っているこの曲は、メロディーが比較的シンプルで歌い易いことも功を奏しているのか、多くのアメリカ人に楽しまれている。私が一番気に入っているのは、アカペラ・シンガー、Peter Hollens のこのバージョンで、彼の第一声、 “Oh Shenandoah, I long to see you.” で、完全に魅了されてしまう。今回の旅では、シェナンドア訪問はできなかったが、ノースキャロライナへの旅の前に地域の歴史や地理などについてもっと把握したくなり、ブルーリッジ山脈や近くのシェナンドア国立公園についても少し調べたり、ポッドキャストを聞いたりしてみた。
その結果は。。。何とも残念ながら、この地域で数世紀に渡って繰り返された先住民の追放と強制移住という残酷な歴史について触れることなってしまった。ナイーブにも東海岸初の国立公園創設に纏わる自然保護の美談を期待していただけに、落胆はかなり大きかった。シェナンドア・バレーには、マナホア族、モナカン族、ショーニー族、チェロキー族、イロコイ族をはじめとする先住民族が、数千年に渡りに暮らし、農耕、狩猟などのために土地を利用していた。しかし、数世紀にわたるヨーロッパ系移住者の侵入と攻勢によって多くの部族はこの土地を追われ、18世紀末には条約や強制移住を通じて土地の割譲・喪失が決定的となった。更に1930年代にシェナンドア国立公園が創設された際、連邦政府とバージニア州政府は、土地のリワイルディング(再野生化)と公園整備のため、500を超える家族(初期入植者の子孫や、ネイティブ先住民の血を引く人々)を強制的に移住させる措置をとった。この土地に長年暮らしてきた住民は、政府による財産の没収、そして立ち退きに直面した。その影響は深刻で、精神的ダメージ、住まいの喪失、コミュニティの崩壊、そして土地に結びついた文化の消失をもたらした。シェナンドア国立公園は、壮大な自然美と景観を楽しめる場所ではあるが、いまだ解決されていないヒューマン・コネクション喪失の地でもある。このような歴史に対する認知や記録の保存への取り組みは一部存在するものの、この史実の多くは、今尚あまり語られていない。(参考:Boundary Stonesの記事)綺麗に整備された国立公園には、かつて存在していたコミュニティの影は無いが、人々の居住場所だったことが分かる古い石壁の跡、家屋の土台の跡、古い歩道などが観光客用に整備されたトレイルから少し外れたところに見られるそうだ。こういう史実を知った今、単純にこの国立公園の美しさを楽しむだけでは不十分だと感じるが、自分としては何をすべきなのか苦慮してしまう。ほんの微力でもネイティブ・アメリカンを支援する非営利団体(*)支援などの形で貢献することは、自分が取れる行動の一つかも知れない。また、この国立公園を訪問できた際には、ビジター・センターなどにこの史実の記録が展示されているかを確認したいとも思っている。
(*)Running Strong for American Indian Youth, Native American Rights Fund などが代表的。
アメリカの歴史には、強者による弱者に対する過酷な行動の例がいくつもあり、第2次大戦時の日系アメリカ人もその被害者だったことは、よく知られている。日系アメリカ人収容所跡地が史跡として残され、National Park Service が管理運営しているカリフォルニアのManzanar National Historic Siteには、当時の日系アメリカ人の収容所に於ける生活の様子や権利剥奪の記録が展示されている。シェナンドア国立公園でも、この地に住んでいた人々に対する過酷な扱いを認める史実の展示があるのだろうか?アメリカ屈指の景観を誇る国立公園になった経緯を隠さず、その背景にあった人々の犠牲を認めて、自然と人々の歴史を学ぶ場所であって欲しい。Oh Shenandoah で歌われる「美しいシェナンドアに会いたい。」という気持ちは、今でも変わらないが、同時にこの地域でヒューマン・コネクションを奪われてしまった人々の歴史にもしっかりと目を向けたいと思っている。