ヒューマン・コネクション【13】

厳しく、そして温かく、初心者を応援するコミュニティ


今年の3月に和太鼓を習い始めた。理由はごくシンプル。子供の頃、太鼓が生み出す躍動感がとにかく好きで、太鼓の音に触れる度にときめきを覚えていた。生まれ育った海辺の田舎町では、秋祭りが近づくと、近所で太鼓の練習をする音がどこからか聞こえていた。宿題の漢字の練習帳から気が外れて、トン・トン・トコトコ・トンとリズム良く伝わってくる締め太鼓の音に聴き入ってしまう。祭りの当日になると、5、6歳年上の中学生の男子たちが、町内会から出る山車に乗って、練習の成果を得意げに披露する。普段は気にも止めなかった近所の平凡な男の子たちが、生き生きとして、しかもやたらと逞しく見えた。彼らの太鼓の腕前も捨てたもので無い。祭り気分の町中の雰囲気に釣られて、宿題はほったらかしで町内の若者たちに加わり、山車について街中を回った。「あまり遠くまでついて行ってはダメ」と母から言われたことを思うと、やはり、小学校の2年生か3年生くらいのことだったと思う。当時、太鼓は男の子のするものという暗黙の了解があった。別に決まりがあったわけでは無いだろうが、それが常識という雰囲気で、周囲に太鼓を叩く女性や女の子は、全く見当たらなかった。そういう環境で育つと、それが、不平等とかいう意識は無く、放課後の太鼓の練習を取り仕切る近所の取りまとめ役から、女の子たちには声が掛からないことを当然のこととして受け止めていた。それでも、心の片隅で、自分も太鼓を叩いてみたい、という思いは確かにあった。


あれから半世紀が経って、その間、和太鼓のことはすっかり忘れていたのだが、この数年急に和太鼓が気になるようになった。正確には「急に」では無く、「ことある毎に」和太鼓を意識するようになっていた。この数年、アメリカで和太鼓のグループに出くわす機会が増えて(*)、それをきっかけに子供の頃の思い出や、故郷に対する郷愁が蘇ることが増えたという事かもしれない。アメリカに住むようになってから40年があっという間に経ったが、その間に、アメリカ各地で日本文化を継承し、楽しみ、伝播している人々に巡り合うことが予想以上に多く、そういう方達の活動に次第に惹かれて来たのも事実だ。それでも、子育てや仕事が重なって結構忙しく、そのような文化活動に加わる機会が簡単にはできなかったし、また心のゆとりも欠けていた。3年くらい前から仕事の面では、本当にやりたい仕事、あるいは意義を感じられる仕事だけに集中することにしたところ、生産性が向上して、時間的、精神的なゆとりがかなり出てきた。(気の向かない仕事は、捗らないということか。。。)そして、何か新しいことに挑戦したい気持ちと、和太鼓への憧れが重なって、初心者向け和太鼓のクラスに参加することにした。

(*)アメリカの主要大学の多くに和太鼓のグループがある。Stanford Taiko もその一つで、このグループ出身の知り合いによると、1990年代に和太鼓がアメリカの大学で一気に広がり、多くの大学に和太鼓のグループができたとのこと。大学ベースの太鼓グループの中で、一番気に入っているのは、とにかく元気一杯のUC Berkeley Cal Raijin Taiko


幸い30分くらいで通えるSan Jose Taikoで、初心者向けのクラスを開催していることがわかり、早速登録して、毎週楽しく参加することになった。太鼓を叩くと瞬時にして身体中にエネルギーが湧いてきて、ポジティブな気持ちになる。太鼓のレッスンの後は、「気分快調!」と感じるほど、単純に楽しい気持ちになる。3月から6月の間、この初心者向けクラスに参加した後、夏休み中は休講になってしまったので、Watsonville に別のクラスを見つけて7月から通うようになったのだが、この新しいクラスは、勝手が少し違う。少人数のということもあり、ただ楽しく太鼓を叩くのでは無く、個人個人のレベルに基づいて、しっかりと基礎を教えられ、精神面の心構えや姿勢についてもハッとさせられるようなフィードバックを受けることがある。クラスのポリシーとして、出欠をきちんと取り、欠席する場合は事前に連絡すること、レッスンの前後は、練習する事を要求される。「練習をしないと、クラスの他の人に迷惑を掛ける」と、きっちりと言われる。その厳し目のポリシーに逆に惹かれて参加したのだが、ここでは自分が全くの初心者のレベルで、クラスのビリ、劣等生だという事がすぐに明らかになった。


誰でも楽しく始められる太鼓という謳い文句を気軽に受け入れて始めたのだが、少しでも上達しようとすると、相当の努力が必要なことがすぐに分かった。特に、太鼓はアンサンブルで演奏するので、自分のちょっとした間違いが、全体に与える影響が明らかだ。Watsonville Taikoの先生は、日本から40年ほど前に渡米されて、太鼓歴は30年以上という筋金入りの女性。クラスは正座と黙想から始まり、先週習ったところまでを演奏することから始まる。最初の2回ほどは、練習そこそこのまま参加してしまい、先生に見透かされていること、自分が劣等生で他の人について行けず、確かに迷惑を掛けていることをすぐに自覚した。太鼓に対して真剣に取り組んでいらっしゃる先生には、静かな内に秘めた厳しさがある。あまり練習しないまま参加した最初の数クラスで、恥ずかしさを感じると同時に、先生に対して申し訳ないという気持ちになった。「楽しい」太鼓だが、真面目に厳しく教えてくださる先生に対しても、クラスメートに対しても、失礼になるし、自分も上達したい気持ちが強くなったので、姿勢を改めしっかりと毎日練習して、クラスに参加することにした。先生の指導は、体の重心の移動、指、手首、肘、肩、腰、腹などの動かし方から、顎の引き方、呼吸の仕方まで至り、合気道やバレーの例も使って体とリズム、バランスや重心と力の関係などを説明して下さる。劣等生の私に対しても、数年の演奏経験を持った人にも、まさしく、手取り足取りの指導をしてくださる。厳しさと温かさの絶妙なバランスを持ち合わせた先生は、一人一人のつまずきの傾向、弱点がすぐに分かり、スキルアップするためのコツを個別に指導しながら、クラス全体を引き上げて行く。クラスの雰囲気は真剣で、先生の厳しさが基軸になっているのだが、時折垣間見ることができる先生の本物の温かさが緊張をほぐす。また、より長い太鼓経験を持つクラスメートも、初心者に対して優しく辛抱強い。太鼓のアンサンブルは、全員のビートが揃わないと成り立たないので、お互いの動きに気を配りながら息を合わせて作り上げて行くこと、助け合うことがこの上無く大切だ。それがあるので、クラス全体にお互いを引き上げようという雰囲気があり、初心者も自然と頑張ってついて行けるコミュニティになっているのかも知れない。


「3曲マスターできたら、演奏に参加できる。」と先生から伺って、いつかどこかで演奏できるようになる日をイメージしながら練習を続けている。今、やっと1曲目をほぼ通しで打てるようになったが、公で演奏できるレベルでは無い。ということは、3曲を演奏できるレベルまでマスターするには、2年くらいは掛かるかも知れない。たとえもっと長く掛かったとしても、先生に教えを受けること自体の充実感、クラスメートと息が合って、ビートが合った時の嬉しさが心の支えになっているので頑張れる気がする。3ヶ月前は、自他共に認める劣等生だった私も、最近はかなりついて行けるようになった。今日のクラスでは、相当良い感じで叩けた部分があり、先生はすぐに気づいて、一瞬だが無言のまま眼差しに少し優しい微笑みが見えた。「ちゃんと練習したのね。」と思ってくださったのだろう。先生の95%の厳しさと時々垣間見せる5%の本物の温かさに心から感謝している。

(参考)Watsonville Taiko 演奏ビデオ

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