[連載中] 新しい価値を創り出す人財【21】
21. 将来の人財を育てる教育とは?(2)
前回言及した「未来人材ビジョン」(2022年に公開された経産省の資料)で、企業のトップは、次の社会を形づくる若い世代に対して、「常識や前提にとらわれず、ゼロからイチを生み出す能力」、「夢中を手放さず一つのことを掘り下げていく姿勢」、「グローバルな社会課題を解決する意欲」、「多様性を受容し他者と協働する能力」といった、根源的な意識・行動面に至る能力や姿勢が求めていることが明らかにされている。そういう人材を育てる教育とは、どうあるべきなのだろうか?同資料の教育に関する提言をまとめた第4章の冒頭で、未来を牽引する人材とは、「好きなことにのめり込んで豊かな発想や専門性を身に付け、多様な他者と協働しながら、新しい価値やビジョンを創造し、社会課題や生活課題に『新しい解』を生み出せる人材である。」としている。この点には全く同感で、そういう人材は日本の未来を牽引できるばかりで無く、世界の未来にも貢献できるはずだ。また、そういう人材は、自分や社会に対する肯定感が強く、生き甲斐を感じる人生を送れるに違いない。シリコンバレーで生き生きと活動をしている起業家は、まさしくそういう人が殆どと言っても過言ではない。
現在の日本の子供達は、この素晴らしい「未来の人材像」の予備軍としてスクスクと育っているのだろうか?残念ながら、このレポートの第4章で紹介されている調査結果では、かなりかけ離れた子供達の状況が明らかにされている。正直なところ、昨今の日本の15歳、18歳の子供達に関する調査の結果を見て、私はかなり愕然とした。特に、1)日本の15歳は、数学的・科学的リテラシーは、世界でトップクラスにあるにも拘らず、数学や理科を使う職業につきたいと思う子どもは少なく(国際平均の半分以下)、2)日本の18歳には、自分で国や社会を変えられると思ったり、解決したい社会課題を持っていたりする子が主要国に比べて際立って少ない、という2つの点は、ショックだった。リテラシーという点ではトップクラスで優秀なのに、意欲や希望を持つというような精神的な面で明らかに低いスコアを出しているこの子達のあり方は、日本を牽引する「未来の人材像」からかけ離れている。
その解決策の一つとして生まれてきたのが、いわゆる探究型の学習で、自分たちが課題を見つけ出し、答えのない課題に深く取り組むというカリキュラムの導入に繋がっている。高校では2022年度から「総合的な探究の時間」が正式科目となり、教科横断的に課題発見・解決力を育てることが求められている。また、東京大学の教育研究機関と民間事業者による共同研究が始まり、「どのような探究プログラムが、どのような学びの効果につながるのか」を実証的に可視化する試みが進められているそうだ。(参考:リバネス「総合的な探究の時間」の実施事例と評価手法の紹介)文科省も2025年に質の高い探究型の教育を進めるための調査検討を、「質の高い探究的な学びの実現」という詳しい資料にまとめている。これらの調査資料から言えることは、ある程度の成果をあげているケースもあれば、様々な理由で、実施が追いついていなかったり、探究型の学びに時間を多く取られることで、学力の低下を懸念しているケースもあるということだ。
今年の1月に東京大学教育学部大学院の学生約20人のグループに、アメリカのProgressive Education (後述)についてお話する機会があった。90分近くのプレゼンの後の質疑応答の時間に、博士過程で学ばれている女性が、彼女のお子さんが通っている学校に於ける探究型学習についての印象と感想を共有してくれた。彼女曰く、「先生から『こういうテーマで探求してみては?』と子供達が促されて、そのテーマについてインターネットで調べるだけの時間になっているクラスもあり、子供の自主性に基づいた探究になっていない感が否めない。」とのこと。「子供の自主性や興味関心に基づいた本物(authentic)な探究では無く、最終発表でクラスとして見栄えが良くなるテーマを先生が選んでいる感じもする。」という感想も述べられていた。ありがちな話だが、文科省の方針に従って「探究型の時間をとりあえず設けること、成果が出たような形にすることが優先されてしまっているのかもしれない。また、新しいカリキュラムを進めるための教員の準備期間や研修は殆ど無かったのでは無いか。」と語る学生もいた。更に、別のある学生は、「従来型のカリキュラムを教えてきた先生に、急に探究型の学びを、と言っても無理だと思う。」という発言をされていた。私も実は同じ意見で、自分が体験したことも無く、探究型の学びの実践現場を見たことも無い先生たちに、抽象的でマニュアル的な説明だけで、この新しいアプローチを実践してもらうことには、かなり無理があると思っている。
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日本で探究型と呼んでいる学習方法は、アメリカでProgressive Education(進歩主義教育) と呼ばれている方法を継承している部分が多い。ただし全くの継承では無く、Progressive Educationの方法を取り入れながら試行錯誤し、受け入れたり批判したりしながら日本独自の文脈で再構成されたものになっていると言われている。アメリカの教育全般には、深刻な問題が山積している。社会経済格差がもたらす教育機会の不均等、教員の不足、高等教育の高額コストと大学生、卒業生を苦しめる学費ローン。どれをとっても、アメリカ社会の土台を脅かす、深刻な問題だと感じる。しかし、他方で、アメリカで子供を育てながら様々な教育のオプションに触れて、比較的自由度の高い教育のあり方に希望や救いを感じたことがよくあった。特に、クラスルームでProgressive Education の実践に触れた時には、なるほどと思うことが多々あった。端的に言うと、子供達が生き生きと、自主的に選んだテーマに基づき、学びと遊びの境界の無いような楽しく、しかも真剣な取り組みをしている姿に出会ったからだ。
アメリカのProgressive Education の潮流は、シカゴ大学のJohn Dewey 教授が1896年に創設した「ラボラトリー・スクール」が発端になった。1894年、新設のシカゴ大学に哲学・心理学・教育学を統括する主任教授として着任したJohn Dewey 教授は、シカゴ大学の付属実験学校として「ラボラトリー・スクール」を創設し、社会に密着した経験に基づく知識の重要性を検証した。この学校では、社会的活動・協同作業・生活経験を通して学ぶ「学習の実験場」が設けられ、暗記とドリル中心の従来教育に対し、経験・活動中心の教育の有効性を示した。Dewey は「Learning by Doing」という理念を教室で実証し、能動的・問題解決的な学習を教育の中心に据えるべきだと主張した。そして学校を「協同的なコミュニティ」として設計し、そこでの経験を通じて、クリティカル思考・社会的責任・共同体意識を身につけることが、健全な民主社会の条件だと考えた。私が実際に見たProgressive Education のクラスルームは、先生から知識を得る場では無く、先生がガイドとなって、子供達の気づきや自主的な学びを促し、子供達が自主的にコミュニティーの一員としてプロジェクトを進めて行く場、その経験をお互いに共有しあう場という印象を持った。その過程で、意見や感情の対立があれば、先生は時にはファシリテーター的な立場をとり、時には話し合いを見守り、最終的には投票で解決する場合もあった。まさに、クラスルームがミニ民主社会のコミュニティーになっていた。
このようなProgressive Education のフィロソフィーに基づいた学校では、多くの場合、シカゴ大学のラボラトリー・スクールでも実践されているように、Early Childhood ではPlay Based, Lower School ではActivity Based, Middle School ではProject Based, High School ではDiscussion Based の教育方法が採用されている。日本では戦後この教育方法を取り入れて様々な紆余曲折を経た。この教育方法がかなり批判されたこともあり、お膝元のアメリカでも、広く全面的に支持されている訳では無い(注)。しかし、世界の急激な変化、多様な価値観の衝突、AI の普及による学びの方法の急変を目の当たりにするにつけ、未来を牽引する人材に必要な学びの場は、従来の知識習得の場としての学校では無く、形式的な探究型の学びのテーマを先生から与えられる学校でも無く、真のauthentic な探究型の学びを提供する場や機会だと思っている。
(注)アメリカでProgressive Education の教育方法を全面的に取り入れている学校は、私立の学校が殆どで、比較的小規模のオールタナティブ・スクールや、ホーム・スクールを進める親たちのサポート・グループ(例:California Homeschool Network) で実施されている例も多い。
(つづく)