ヒューマン・コネクション【16】

21世紀のメサイアに集う人々


クリスマスが間近なこの時期、家族ぐるみでサンフランシスコ・バレーの
Nutcracker や、ゴールデンゲート・パークの Lightscape を観に行ったり、クリスマスのライトアップを見事に演出することで知られ、通称 Christmas Tree Lane と呼ばれる近所の一画に出かけたり、夕方以降の外出の機会がグッと増える。場所によっては、人工スノー・マシンまで登場して、子供達が雪遊びができたり、ホット・チョコレートやホット・サイダーをを配ってくれる気前の良いご家庭もある。ホリデーシーズンの街角や隣近所の風景は、クリスマス・ライトの煌めきと、 心温まる give の精神に溢れていて、いつの間にか夜の外気の冷たさも忘れてしまう。


そんな12月の夜のイベントの中でも、毎回心ゆくまで堪能できるのは、スタンフォード大学のメモリアル・チャーチで第2金曜日の夜に開催されるヘンデルのメサイアである。”Annual Sing/Play Along”というタイトル通り、ヘンデルのメサイアを全員参加型の合唱と合奏で楽しむフォーマットになっている。メサイアの合唱の部分は全員で歌い、ソプラノ、アルト、テナー、バリトンのソロの部分は、参加者がそれぞれ自分の声のレンジに合わせて選択し、自称ソプラノの人は、ソプラノのソロの出番になったら、立ち上がってその部分を歌う、という流れで進む。オーディションがある訳でもなく、自分で歌いたい部分(歌える部分)だけに参加できるのが嬉しい。今までの経験では、自分の周囲に座っている人の中に、相当なレベルのコーラス経験者が必ずいて、その人を頼りにできるのも安心して参加できる理由だ。毎回、ソロ部分の飛び抜けた美しさに惹かれて、ソプラノに加わることを試みるが、大体半ばにして無理なことを悟り、アルトに転向している。何十年も前に普通の公立高校で音楽の授業を受けて以来、音楽の教育やレッスンを受けたりしたことの無い私にとって、ヘンデルのメサイアは、楽譜を追うだけでもかなり大変なのだが、相当経験のありそうなアルトの女性が近くにいると、その声を聴きながら、何とかついて行ける。


メサイアはヘンデルがオラトリオ(合唱曲)として1741年に作曲し、アイルランドのダブリンで1742年に初めて公演されたが(注1)、その後、300年近くに渡って世界で最もよく知られ、多くの人に慣れ親しまれて来た曲の一つとも言われる。クリスマスが近いこの時期に開催されるメサイアの合唱は、聖書に基づいたストーリーを歌詞としているので、キリスト教信者ばかりが集まるかというと、そうでは無い。キリスト教とは関わりの薄い人々もファミリーイベントとして参加している。ニューヨークのプレミア合唱団、National Chorale によると、全員参加型のメサイア Sing-Along (或いはSing-In)の人気がアメリカでで始めたのは1960年代で、以来、全国各地でクリスマス・シーズンに開催されるイベントとして定着したとのこと。National Chorale がニューヨークのリンカーン・センターで開催するメサイアは、今年58回目だそうだが、地元の人のみならず、この時期にニューヨークを訪れる観光客の間でも人気がある。

(注1)このダブリンでの初公演は、チャリティー・イベントだったが、クリスマスの時期では無く、イースターのイベントとして4月13日に行われた。今でも、ダブリンでは、4月13日にヘンデルのメサイアを祝ってMessiah On The Street が開催されている。


メサイア参加者で満席のメモリアル・チャーチ@スタンフォード大学


スタンフォード大学のメモリアル・チャーチをほぼ満席にするこのイベントを楽しく盛り上げてくれるのは、全体の指揮をとるStephen Sano 教授。スタンフォード大学のDirector of Choral Music として、複数の合唱団の指揮をとり、音楽界からも学生からも高い評価をされている。親しみやすく、時々ユーモアを交えるSano 先生の語りには、レベルも経験もバックグラウンドも多様な参加者全員を自然に惹き付ける魅力がある。オーケストラと合唱団(参加者全員)に適切なアドバイスをしながら、誰もが心ゆくまで楽しめる大合唱に仕上げて行く巧みな指導力には、毎回感心してしまう。しかも、大切な合奏部分を担うオーケストラも、隣近所の一般の人、学生、大学のスタッフ、ファカルティーなどの混合集団で、このイベントの前にリハーサルをすることもなく、その場で、オーケストラとして曲を仕上げて行くというやり方する。(これをSano 先生はPlay Along と呼んでいる。)これを可能にするSano 先生の指導力は勿論のこと、オーケストラに参加している人たちの見事な実力に感激する。

メサイアの指揮をとるSano 先生(中央)

オーケストラの楽器演奏者の中には、1992年にSano 先生がこのイベントを始めた直後から今まで、演奏に参加して来たという白髪のベテランも数人いる。そして、1992年以来、第一バイオリンの首席奏者でコンサート・マスターを務めているのは、スタンフォード工学部のThomas Lee 教授だということを今回知った。Lee 教授も含めた、Sano 先生の親しい「音楽友達」、先生の下で音楽学専攻だった学生、他の学部の専攻で先生から直接教えは受けなかったが、課外活動のスタンフォード太鼓やコーラスで先生とのタッチポイントがあった卒業生、スタンフォード近辺に住む音楽好きの人たちなど、様々な分野の人たちが集まり、Sano 先生の下でメサイアを仕上げて行く1時間30分はあっという間に過ぎて行く。ところどころに、メサイア誕生に纏わる逸話を挟みながら、時々(私にとっては)少しレベルの高い音楽理論の話題も散らばめてくれて、学びの要素も加味して行くあたり、大学の先生ならではの優れたトークだと思う。フィナーレは、もちろん最大人気の第44曲、「ハレルヤ」である。ご自分自身も楽しくてたまらない、という様子のSano 先生は、ハレルヤをフィナーレで終えて、一度少しだけ退場するが、アンコールのリクエストの声が参加者から高まる前に待ちきれず、”Shall we do it again?” とニコニコしながらステージに再登場され、こちらまで、つい微笑んでしまう。


メモリアル・チャーチを満たすハレルヤの大合唱に参加すると、普段はあまり宗教に近いところにはいない私でも、日々の懸念や憂いを後にして将来に向けて昇華できる気がしてくる。また、Sano 先生の指揮の下で、ここに集まった人たちとの共通感や一体感を味わうことができ、「共に歌うこと」の持つ力を再認識する。イベントを終えても、ハレルヤの余韻を惜しむように、教会内壁のやモザイク画やステンドグラスに見入っている人、知人と”Have a wonderful Christmas!” 、”See you in the new year!”と、笑顔でハグを交わし合う人々は、予定の終了時刻9時をとっくに過ぎているが、すぐに去りそうな気配は無い。楽器を片付け始めたオーケストラ演奏者達と歓談するSano 先生も、時間はあまり気にしていない様子。12月の寒夜、メモリアル・チャーチには、18世紀のヘンデルが創り出したハレルヤの熱気と余韻が漂い、21世紀の温かいヒューマン・コネクションが溢れている。


(追記)ヘンデルのメサイアがデビューした18世紀の中盤、英国では国を分断する政治不安、幼児の高い死亡率、一般民衆の経済的逼迫など、暗い情勢が世の中を覆っていた。ヨーロッパ大陸でもオーストリアの継承をめぐる戦いにフランスとイギリスが相対する勢力として介入し、ジオポリティクスは不安定な状況にあった。去年の12月に放映されたCBS の Sunday Morning では、そのような不安材料を抱えた社会に生きる人々にヘンデルのメサイアが、光と希望を与えたというエピソードが、Georgetown University の Charles King 教授によって分かりやすく語られている。尚、ヘンデルのメサイアに纏わる研究をストーリーとして分かりやすくまとめた King 教授の著書、Every Valley は面白く、示唆に富み、読み応えがあるとの評判。私も早速Amazonで注文した。

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